2018/10/29 22:59

今回のネパール滞在は、この国で最大の秋の祭り、ダサインとほぼ重なりました。

 

これまでも、ダサインの時期に合わせて何度も配偶者の実家に来ていましたが、

「ジャマラ(大麦)の成長力」でお伝えしたように、初日にジャマラの種を播くガタシュタパナの

儀式から、ほぼ最後まで過ごしたのは、おそらく初めてでした(多分)。

あらためて気づいたことも少なくなかったので、今回はダサインの日取りや主要な儀式、

この間の、人々の動きなどをお伝えしたいと思いますが、その前に、まずは暦のことから。

 

ネパールでは、ヴィクラム・サンバットというネパール暦が利用されています。

新年は、西暦の4月半ば頃(※今年は414日がネパール暦2075年の新年でした)。

ひと月が29日の月もあれば、32日の月もあるものの、ヴィクラム・サンバットは太陽暦です。

ただネパールの行事・祭祀は陰暦をもとに日取りが決められているため、いずれの祭祀も、

毎年その日にちがかなり異なります。その年の或る月が32日になるか31日になるか、

祭祀の日取りや儀式を執り行うのに適切な時間を、月や星の動きから計算して決めているのは、

ジョティシ=占星術師たちです。

 

ネパール暦でも西洋暦でも、毎年、日取りは変わるものの、ダサインの初日は

新月の翌日から始まります。今年は1010日がガタシュタパナでした。

7日目のフルパティは、ジャマラの成長を祝う日で、王制は2008年5月に廃止されたものの、

今も王家の本拠地ゴルカからカトマンドゥに運んだジャマラを受け渡す儀式は行われ、

各家でもプジャ(祈祷)が行われます。その後、女神ドゥルガーへの生贄としてカシ(ヤギ)を屠る、

道具類をプジャするなどの儀式は、各家の都合によって、最近は多少日にちも前後するようです。

ちなみに配偶者の家では、前日入手した25キロほどのカシを、フルパティの日に

屠ったので、その日の早朝にククリナイフや包丁に、そして8日目は道具類ということで、

バイクやスクーターにプジャをしました。



カシを切る、ククリナイフ


 

「ダサインのあいだ、人々は」でも触れましたが、ダサインの9日目までは

ナウラタ(ナウは数字の9)といって、人々は、女神を祀る寺院に足を運び、プジャします。

この間、わたしたちはほぼ毎朝、カトマンドゥで人気の寺院をスクーターで回りましたが、

どこの寺院も、本尊の女神にお供えをするため、かなりの人が並んでいました。

 

8日目アスタミの日に訪れたカトマンドゥ郊外にあるダクチン・カリーは、祈願が達成するよう

生贄を供える、あるいは祈願達成を感謝して生贄を供えることで知られている寺院で、

長い長い列ができている本尊のすぐ裏で、ボカ(去勢していない雄ヤギ)やニワトリの首が落とされ、

誰もが見ることができる場所で、解体処理が速やかに行われていきます。

 



ダクチン・カリーに参拝するため並ぶ人々


ヒンドゥの寺院は、本尊を祀るところに入る際、履物や革製品を脱ぐ(外す)ことが基本です。

本尊の前では、日本でいう巫女さんのような女性が、参拝者をどんどん捌くように

供物を受け取っては、本尊に供え(花、果物、甘いお菓子、お金などがあるので、置き場所を

分けているようにも見えました)、供えた人に神から下がったものとして、供物の一部を

戻します。フルパティ(7日目)以降の供物にはジャマラも見られ、ナウラタの最終日には、

ダクチン・カリーほどの規模ではないものの、他の寺院でも、生贄を捧げる人の姿がありました。

 

ソヴァ・バグワティ寺院。生贄の首が落とされる場所は、本尊が祀られた祠のすぐ目の前


地面には、花や果物、ティカに使う米とヨーグルトと色粉とを混ぜたもの、生贄の血などが

散乱しているものの、人々はさほど気にかけている様子はなく(敢えて踏もうとはしませんが)、裸足で歩いています。

地面に落ちたとはいえ、ヒンドゥにとっては神への供物であり、この辺りに浄不浄の感覚の違いを覚えます。

 

ナウラタ以降、人出がどう変わるか。ここまで見続けたのだからと、10日目以降も

朝の寺院めぐりを続けましたが、どの寺院も人の列は見られませんでした。ナウラタは

日本の初詣から七福神めぐりと多少重なるところがあるのかもしれません。

 

長くなったので、続きは次回に。